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富山地方裁判所 昭和28年(ワ)160号 判決

原告

坂井タカ 外一名

被告

坂井政雄

"

主文

被告は、原告坂井タカに対し金一万三百二十円及び内金五千三百二十円に対する昭和二十八年十月十日より以降、内金五千円に対する昭和二十九年一月十五日より以降、いずれも支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は、原告坂井米次に対し金五千百円及びこれに対する昭和二十八年十月十日より以降、支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告、その余を原告等の負担とする。

この判決は、原告坂井タカにおいて金三千円、原告坂井米次において金千五百円の担保を供するときは、それぞれその勝訴の部分につき仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

(一)  先づ被告が、原告等主張のように、昭和二十八年三月十五日原告等に対し暴行を加え、因て原告等に傷害を負わせたかどうかについて判断する。その成立に争のない甲第一、第三、第四号証(甲第四号証中後記措信しない部分を除く)、乙第二、第三号証の各一、証人家城秀哲の証言によつて真正に成立したと認められる甲第二号証の一、二、右証言、証人坂井治八、黒田幸作、水上義治の各証言及び検証(第一回)の結果を綜合すると、原告タカ(明治二十九年十一月十日生)は訴外坂井治八の妻であり、原告米次(大正十二年九月十六日生)は原告タカ及び訴外治八の養子であること、原告タカ方と被告方とは古くから所謂本家(原告タカ方)分家の関係にあり、且つ原告タカと被告(明治三十四年一月二十日生)とは従姉弟で、その住家も原告タカ方(同原告肩書住所地に所在)の北方に被告方(被告肩書住所地に所在)が隣接しているという間柄であるのに、両者方はその先代から円満を欠いた仲となり、殊に、昭和二十七年十二月十日頃、当時部落の区長をしていた訴外治八に対し反感を抱いた部落民が、区長を訴外治八より被告に更迭したことから、原告等方と被告方とは一層不和の感を強めるに至つたこと、昭和二十八年三月十五日夕方、被告は下段農業協同組合事務所において、訴外水上義治外数名と飲酒し、相当酩酊したので右義治において同伴し、右事務所より帰宅の途中、同日午後八時頃原告タカ方住宅の南側道路に差し懸つた際、偶々懐中電灯を持つて自宅庭内南部を見回つていた原告タカが被告等に光を向けたので、被告は、「腐つた電池だ」と罵つたところ、原告タカにおいて「酒を食うてそのざまなんだ」と罵り返したことから、原告タカと互に激しく罵り合つたが、両者の争闘を惧れた訴外義治において被告を強いてその自宅に連行したので、一たん帰宅したが、被告は原告タカに対する激情おさめ難かつたので直ちに原告タカ方玄関前に赴いたこと、丁度その時原告タカ方庭内北部を見回つていた原告米次において右玄関前に来合せ、原告タカと被告との衝突を避けようとして被告に対し強く退去を求め、なお原告タカ方に雇われていた訴外黒田幸作もその場に来て被告に退去を求めるや、被告は、突然右訴外幸作の顔面を殴打し、これに原告米次、訴外幸作が怯む隙に、右玄関近くにいた原告タカに迫り、手拳で同原告の右頬を一回殴打し、次いで被告を制止しようとした原告米次の顔面を右拳で数回殴打したこと、被告の右殴打により原告タカは、その頤部に全治までに十四日間を要する打撲傷を負い、原告米次は、その左頬及び鼻梁部に全治までに十日間を要する打撲傷及び挫創を負つたことを認めることができる。甲第四号証の記載の中で右認定に反する部分は信用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  右認定事実によると、被告が、原告両名を殴打し、因て原告両名に対し傷害を負わせたことの不法であること疑なく、従つて、被告は、その不法行為により原告等が被つた損害につき賠償責任あるものというべきである。

そこで右損害の範囲及び数額につき審按すると、

(1)  証人家城秀哲の証言によると、原告等は、前記傷害につき医師である訴外家城秀哲の診療を受け、又同人に診断書の作成をして貰い、右診療及び診断書作成の費用として原告タカにおいて金三百二十円を、原告米次において金百円を、いずれも右訴外人に支払つていることを認めることができるが、これ以外に原告等が、被告の前記不法行為によつて物質上の損害を被つた事実を認めるに足る証拠がない。

(2)  次に、原告等が、被告の前示殴打により傷害を受けたことにより精神上の苦痛を被つたことは明かであるから、その慰藉料の額につき考えて見るのに、証人坂井治八の証言によると、原告等方は田畑約三町歩程耕作し、居住部落で上流に属する農家であること、原告タカの夫であり、原告米次の父である訴外治八は、嘗つて下段村会議員、下段農業会理事、下段農業協同組合長、下段農業共済会長、雄山町会議員、その他の公職を勤めた者であることが、成立に争いのない乙第二号証の一、二によると、被告は、高等小学校卒業の学歴を有し、約十八年間下段村役場の書記をしていたことがあり、現在は農業を営み、田畑約一町七反を耕作し、居住村内で中位の生活をしているものであることが、証人家城秀哲の証言によると、原告タカが、前記傷害につき、訴外家城秀哲の治療を受けたのは三日か四日であり、原告米次が、前記傷害につき右訴外人の治療を受けたのは一回だけであることが、それぞれ認められ、これ等の事実に、当事者間争いのない、被告が、前記原告等に対する加害行為につき、昭和二十八年四月十四日富山県上市簡易裁判所において、略式命令により傷害罪として罰金三千円に処せられ該刑が確定した事実及び前記(一)において認定の諸般の事情を斟酌すると、原告等の右精神上の苦痛を慰藉するに足る金額は、各金五千円をもつて相当と認める。

(三)  次に被告が、原告タカ主張のように、昭和二十八年九月二日同原告に対し暴行を加え、因て同原告に傷害を負わせたかどうかについて判断する。前掲乙第二号証の一、二、成立に争いのない乙第三号証の二、証人坂井治八、家城秀哲の各証言(乙第二号証の一、二証人坂井治八の証言中後記措信しない部分を除く)及び検証(第二回)の結果を綜合すると、昭和二十八年八月三十日、原告米次及びその妻訴外ゆき江が、原告タカ方住宅前(東方)を南北に通じている幅員九尺位の村道上に、四、五本の丸太杭を打ち込み、杭と杭との間に竹を渡した垣を作つたこと、この垣は原告タカ方前庭地と同村道との境(この境は、四、九米の入口を除いて高さ三尺四寸、幅四尺の石垣を以て劃されている)より道路上に四尺六寸位つき出で、長さ(南北)三十尺、高さ三尺位のものであつたこと、右村道の東側に沿うて幅二尺五寸、深さ一尺位の用水が流れていたので、同村道は、右垣の在る部分において通行可能なところとしては四尺四寸位の道幅しかなかつたこと、被告の耕作していた田から被告の住宅(原告タカ方の北隣に在る)に至るには、右村道を利用する外方法がなかつたので、前記垣が作られてから、被告方で刈取つた稲を耕作田から自宅に運搬する(被告方では両車輪の間約三尺八寸あるリヤカーで運搬していた)のに、右垣が甚しい支障と為つていたところから、同年九月二日午後三時頃被告が、その長男訴外敏雄と刈取つた稲をリヤカーに積んで自宅に運搬する際、通行し易くする為、右敏雄と共に右垣の丸太杭をゆるめ、横竹を外していたところ、原告タカの夫訴外治八は、これを発見し同人等宅より被告及び訴外敏雄(以下被告等という)の傍に飛び出て来て、「他人の工作物に手を触れるな」と怒号して被告等を制止したが、被告等においては「道路に柵をして交通妨害するとは何事だ」と答えて右治八の制止に応ぜず、互に激しく罵り合つた揚句、被告等において憤慨の余り訴外治八を村道上から用水の中に押し倒したこと、訴外治八と共に自宅より被告等の傍に来ていた原告タカが、右治八に加勢するような様子を示したので、被告等は互に同原告をも突き飛ばしたこと、同原告は、被告等に突き飛ばされた為村道上から用水に落ち込み、その際用水の縁の石垣で胸部、腹部、臀部の右側を打ち、その結果右側胸部から右側臀部にかけて全治までに二週間を要する打撲傷を負つたことを認めることができる。乙第二号証の一、二、証人坂井治八の証言中右認定に反する部分は信用せず、他に右認定を左右する証拠はない。

(四)  右認定事実によると、被告等が相共に原告タカを突き飛ばしたことの不法であること明白である。然して、原告タカは、被告等に突き飛ばされた為用水に落ち込み、その際前示のように傷害を被つたのであり、被告等において、その場の状況から通常の注意を払えば、原告タカを突き飛ばせば同原告において用水に落ち込むこと、用水に落ち込む時は用水縁の石垣等で傷を被るようなことがあることを知ることができたものと認められるから、原告タカの前示傷害と被告等の不法行為との間には相当の因果関係があるものと謂うべく、従つて右傷害を被つたことにより原告タカの被つた損害につき、被告は賠償責任(被告等の共同の不法行為中そのいずれによつて原告タカが用水に落ち込んだのか知ることができないから、被告は訴外敏雄と連帯して責任を負う)あるものというべきである。

そこで、右損害の範囲及び数額につき考えて見ると、

(1)  原告タカは、物質上の損害があるとしてその賠償を請求しているが、これを認めるに足る証拠がない。

(2)  次に原告タカが、右傷害を受けたことにより精神上の苦痛を被つたことは疑なく、その慰藉料の額は、証人家城秀哲の証言により認められる「原告タカが右傷害につき訴外家城秀哲の治療を受けたのは三回位である」事実、成立に争いのない甲第六号証、乙第四号証の一乃至三によつて認められる「原告タカは、訴外治八と共に、被告等の前示暴行につき上市区検察庁に告訴したが、その後被告等において謝罪の意を表したということで右告訴を取下げた結果、被告等において前記暴行につき右検察庁より起訴猶予処分を受けている」事実、前記(一)において認定した各事実、前記(二)の(2)において認定した原告タカの夫訴外治八の経歴、同原告方の資産状態、被告の経歴及び資産状態及び前記(三)において認定した諸般の事情を斟酌すると、金五千円をもつて相当と認める。

仍て、原告タカの本訴請求は、前記(二)の(1)の診療費等金三百二十円、同(2)の慰藉料金五千円及びこれ等に対する本件訴状送達の翌日(本件記録によるとその日は昭和二十八年十月十日であることが認められる)より以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金と、前記(四)の(2)の慰藉料金五千円及びこれに対する訴状訂正申立書送達の翌日(本件記録によるとその日は昭和二十九年一月十五日であることが認められる)より以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金との支払を求める限度において、原告米次の本訴請求は、前記(二)の(1)の診療費等金百円、同(2)の慰藉料金五千円及びこれ等に対する昭和二十八年十月十日(前記認定の通り本件訴状送達の翌日)より以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条本文、第九十三条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 布谷憲治)

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